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発表ブース一般投稿

本ページでは、日本国内外の教員や教育関係者の皆様の研究成果や教育実践の取組事例などをご紹介いたします。
年間のカリキュラム案、単元の指導案、さまざまな研究成果などを発信する場として幅広くご活用ください。

コロナ下の補習授業校の学校経営 ~第二部 始業式から冬休みまで~

ジュネーブ補習授業校 校長 齋藤 寛

ジュネーブ補習授業校の校長が、コロナ下での学校の対応の実際、最前線での学校職員等の活動を記録した。

INDEX

1.はじめに

 第一部の論文で述べたように運営委員会は「閉鎖の解除」を決定し、夏休み明けの2学期から登校しての対面式の通常の授業を行うことを決定した。コロナは解決したわけではないのに、2学期からの閉鎖の解除に踏み切れたのは、いくつかの理由があった。一つが保健委員会である程度のリスクコントロールを行い、「安心」の提供ができたことができたという点である。二つ目が子供達も保護者もオンライン授業に疲れを感じていて、これ以上閉鎖を継続したら、学校の信頼性が持たなくなる。という点であった。校長の赴任が 2学期始業式に間に合いそうだという背景もあった。

 オンライン授業は英知を結集し考え得る最高水準の授業をしていたと思うが、そこには、保護者の大きな負担があり、オンラインでの学習のこれ以上の継続は、義務教育の全日校ではない分、学校への期待や愛校心を失わせてしまうという補習校ならではの問題点もあった。

 日本では夏休みが短縮されてあちこちの学校で新学期が始まる頃、貸し切り状態の羽田空港で辞令とパスポートを受け取り、人影もまばらな飛行機を乗り継ぎ、ジュネーブの地 に降り立ったのは8月18日の夜であった。オンラインで見知ったお顔を空港のゲートに見たとき、懐かしい感じがしたし、感激や興奮というよりも、やっと来たんだなというほっとした気持ちの方が大きかった。次の日の19日が始業式という、正にぎりぎりのタイミングであった。このように開校に間に合わせていただいた文科省担当者や旅行社の方には感謝している。

 この様にして私にとっては現役教師としての最後の地であるジュネーブ補習授業校の生活は始まった。当初の赴任予定日から、133日遅れてのことであった。

2.ジュネーブ補習授業校について

本校の学校案内はこちら

3.開校後の学校経営の指針

 2学期が新学期だと考え、ゆっくりスタートさせる。

 IT化を加速させる。

 オンライン授業の遺産を生かそう。

 働き方改革を一気に進めよう。

 次にオンラインになったときの準備を進めよう 。

4.実際の対応

(1)開校後すぐの頃(8月19日~10月17日)秋休みまで

①始業式

 1 週間に 1 回しか登校しない本校では時間が何よりも大切な事だと考えている。その意味でも、3 学期制でそれぞれに始業式終業式があることは、私は当初から疑問であった。 また、日本の学校でも、儀式を減らして働き方改革を進めてきた背景もあり、時間をかけ て始業式行うことには反対の立場であった。例えば、式次第のうち何かひとつにも時間的なコストがかかるということを自覚するということである。そこで、今回のコロナで、一気に働き方改革を進め、教育課程の近代化を図りたいと考えた。

 

②入学式

 本校の従来の入学式は、日本らしく行われたものだったようである。そこで、コロナ下であることを理由に、時間の短縮を図った。会場の関係で、来賓も呼ばず、密を避けるため保護者・在校生の参加はさせない。プログラムは、校長の式辞のみである。 歌は歌ってはいけないため、国歌斉唱、校歌斉唱はなし、呼名もしないことにした。3 月末に子供にお願いしてあって練習もしていた歓迎のことばと校長の式辞のみとなった。開式から閉式までで 7 分で終了した。

 

③授業を始める

 オンラインでの新学期だったので、子供達と教員とは、オンラインでしか会ったことが ない。家庭で保護者の援助があるオンライン授業と、教室での授業は別物である。

 

④各種行事の中止や見直し

 コロナを契機に学校経営を見直し、学校の本文を見極めることで働き方改革と学校のスリム化を進め、現代的な経営スタイルに刷新しようと考えた。

<運動会>

 運動会は、補習授業校にはなくてはならない大きな行事である。前校長も、できるならやめない方向で考えてほしいという願いだった。しかし、運動会を行うか中止するかは、 夏休み前に判断しなくてはならなかったので、運営委員会とその時点での最善策として中 止を決定した。運動会は、児童生徒の成長のためにもかけがえのない行事である。また、 日本人社会全体にとっても大きな行事となるものである。それだけに慎重に判断して中止を決断した。

 この運動会の中止をきかっけに、行事の見直しを検討し、この他に、学校に保護者が立ち入れない状況から以下の学校行事を中止にした。<茶話会・学習意見発表会・ブックセ ール・オープンスクール>

 その他オンラインでできるものは、オンラインで行うようにした。<入学説明会・個人 面談>

 

⑤運動会とプロジェクト50

 運動会が、学校のみならず日本人社会をあげての一大イベントであることは、児童生徒の発達上必要な行事である。そこで、自分の居場所を確認し、自己有用感を確認することはこの時代の大きな成長につながることである。それを全く中止したのだから、その目的を遂げるために別の安全な企画が必要となると考えた。

 そこで直目したのは、本校が今年開校 50 周年にあたることであった。これを利用することを考え、職員に提案した。担当職員は中止にした運動会の担当を当てた。

 チームで検討し、出されたアイディアは、①一人一人の顔を描いたバッグ ②校歌をダンスにして全員で踊るという物だった。これを更に職員で話し合い、予算が絡むので運 営委員会に諮り、決定した。

(ところが、校内で再検討し、似顔絵のバッグは、様々な理由で実施しないことになり、 ダンスのみ行うことになった。)

 まず、中心になって活躍してもらうのは、中 3 がふさわしいということになった。中 3 の志気を高めるために校長が本校の歴史を調べ、中 3 に語り、是非手を貸してほしいとお 願いした。中 3 は素晴らしい活躍ぶりで、創作ダンスを作ってくれた。

 

(2)秋休み明けから感染症拡大を受けてオンライン授業第二期を開始。

①「ジュネーブ方式」での授業開始まで

10 月には、ヨーロッパではコロナの感染者数も大幅に増加し、毎週のように厳しい措置 が追加されていた。ジュネーブはその中でもとくにひどい状況であった。

10 月 17 日(土)保健委員会の氏田医師から、校長に臨時に話し合いの提案がされた。

 内容は、悪い状況になっているので、再度のオンラインを検討する方が良いとの提案だった。山端委員長に電話で告げる。学校内では、検討チームに再度のオンラインへの 移行について、対策を依頼する。

    18 日(日)から一週間が秋休み期間であったので、この間に作戦を立てようと考えた。

10 月 19 日(月)高校部からはじめることを思いつく。それも毎週ではない形ではどうかと考えた。國井先生と相談。

10 月 20 日(火)先生方のアンケート結果は、通勤に不安もある。でも対面式が良い。な どであった。清水先生と相談。

10 月 21 日(水)氏田医師と話し合う。リスクの大きい高校部からオンラインにしたい旨を伝え、了解をされる。また、その他の学部のオンラインも考えるようになる。

10 月 22 日(木)運営委員会資料を作る。そこに、2 週オンライン 1 週対面の 3 週間で 1 クールという「MSジュネーブ方式」の提案をする。

10 月 24 日(土)運営委員会。10 月最終週を準備週として一週間登校させ、その後「ジュ ネーブ方式」のオンライン授業を行うことを決定する。

10 月 28 日(水)スイスのミニロックダウンの措置が発表される。

10 月 29 日(木)保護者に配信

 

② MS ジュネーブ方式のオンライン授業

 ※ オンライン番組表を参照のこと。

本校のオンライン授業の計画は、次の特徴を持つ。開発者の労をねぎらうため頭文字をとって、「MS ジュネーブ方式」と名付ける。

  

 対面式の授業とトータルの教師の授業時間は変わらない。

 子供達の集中を保つため、途中にチャレンジタイムを設ける。

 2 週オンライン 1 週対面の 3 週間で 1 クール。1 クールごとに対応を検討することに、

 大きな特徴は 1 クールごとの対応を考える点である。

  
   

③検討したオンライン授業の形

ア:ハイブリッド型

 (子供達に「登校して対面式」「在宅でオンライン」の選択をさせる。学年教師をオンラインの授業をする教師、対面授業をする教師に分け、同時間帯に授業を実施する。) このやり方だと、全ての児童の要望に応えられるメリットがある。しかし、2 グループが半数になるとは限らない。数の偏りが大きい場合に対応する教師は本校にはいない。など の不確定要素が大きく、同時に教師の負担も大きくなるため、断念した。

イ:分散登校

 幼児部と小学校の低学年はオンライン授業が困難であるので、登校させる。または希望者のみ登校させる。オンライン希望者や、上学年以上はオンライン授業を行う。

 本校の場合には、フランスからの保護者送迎による通学者もいる。連れてきてもロックダウン中で保護者は居場所がない状況である。また、兄弟姉妹がいる場合には、うちに残してオンラインをする子と通学の子がいた場合には困難である。

 いずれの方法でも分散登校は難しいと考えた。

 

(3)ジュネーブ州のロックダウンを受けて、3 週のクールをやめる決定をする。

 11 月の1週目から、オンライン授業が始まった。連絡したのは、2 週間をオンライン授業にし、次の週を対面式を行うという内容であった。しかし、ジュネーブ州の感染状況は悪化の一途をたどり、新規感染者数は毎日過去最高を更新する状況であった。そこで、保健委員会で 3 週目の対面式授業を行わない方針を運営委員会に提案することになった。 11 月 6 日 運営委員会で、11 月いっぱいのオンライン授業が決定した。

 11 月初旬は、ジュネーブの感染者数は、日を追うごとに悪化し続け、日々最高記録を更新し続けた。街もセミロックダウン状態となり、補習校のオンラインには当初あった反対意見もなくなってきていた。また、保健委員会から運営委員会への提案・可決の流れも 円滑になってきて、論点を整理して解決法を考えるまでの時間も大幅に短縮された。

 

(4)12 月の運営について

  街がロックダウン状態が続き、補習校がオンライン授業を続けている中、状況は少しずつ回復しているように見えたが、期待したほどは好転していない状態であった。しかし、 現地の全日学校は開校したままであり、これ以上のオンラインを続けると、開校の機会を逸すると判断し、状況が少し好転したのをみて、12月は開校の判断をするために運営委員会と話し合いをもった。運営委員会との話し合いの前に教職員と話し合ってみると、オンラインと対面式の切り替えは、「前もって」「余裕をみて」行ってほしいということで あった。それは、オンラインに向く教材と向かない教材があるためである。学年によって は、教育課程を組み替えて、単元を入れ替えて計画し直さねばならないためである。「学校は急カーブは切れない」と保護者や運営委員会に話し説得した。

 また、切り替えには教材準備のために準備週を取る必要がある。それは補習校は全日校 ではなく職員の勤務時間の限られている中で準備を進めていく大変さがあるためである。 また、保健委員会から、「開校の条件として更に厳しい保健衛生の対応が求められていたためである。例えば、「(印刷機のある)事務室には同時2名まで(1名は事務さんなので、教員1名だけ)入室可」勤務時間の短い補習校の教員には大変なことであった。そのため、印刷順番を予約したり、学校で冬休みの宿題を印刷する時間のシフトを作ったりし た。

 結局12月は、1週目はオンライン継続にして、この間に職員が空いている時間に出勤し、 冬休みの宿題や授業準備を行うことにした。 そして2~3週目を対面式にして、子供達を学校に迎え入れ、冬休みに向かうことにした。

 

(5) 3 学期一週目の対応を決める

 冬休みまでの運営が決まったと同時に、冬休み明けの1週目の運営を考えねばならなかった。当初は、冬休みに入る直前(12月20日頃に)連絡しようと考えていた。運営委 員会では、早く決めるためには、1週目はオンラインと決めておく方法を提案された。その場で判断できなかったのは、私の本心では3学期の1週目は対面で始めたいと考えていたからである。これを職員と相談してみると、職員は冬休みは勤務ではないこともあり、 できれば冬休みに入る前に決定してもらいたいということであった。一ヶ月先を予想することは困難であることから、今から決めるのはオンラインしかないという結論にいたった。 そこで、再度運営委員長に図り、冬休み明けの1週目はオンラインと決めた。これを12 月12日(土)に発表した。

 そして、2週目のことは1月3日(日)の保健委員会で決定し、運営委員長に報告後に保護者に連絡する形にした。今まで学んだのは、「学校は急カーブを切れない」それは、 オンラインと対面とに向く教材がそもそも違うので、教育課程そのものを組み替える必要があるからである。このことが保護者にも浸透してきた。

 

(6) 感染者対応と報告

 児童生徒の感染者が出た場合には、本校では保健委員会で作った、対応策に則って対応することにしている。(別添資料)ここで配慮したのは個人情報の扱いである。個人名 まで知っているのは「校長・保健委員・担任」だけである。その他は、職員・運営委員長 にも「発生の事実だけ」領事館や文科省には「学年・性別まで」の報告となっている。 保護者や委員長以外の運営委員には報告していない。また、毎月行われる運営委員会でも 「感染者の有無」は報告していないし、校長挨拶などでも当初から「おかげさまで今のところ感染者はでていません。」などと言わないように注意していた。いつかは感染者が出る のが当然だと考えていたからである。

 児童生徒職員本人の感染の場合には、文科省・在外公館(領事館)に届けを出すことになる。文科省では、報告の様式が決まっており、そこに記入し第一報を調査係に報告することになっている。すると、文科省からは緊急電話に連絡があり、それによって追加の確 認がある。それは、感染者が無症状になって、通常の生活になり出席出勤する報告で完結することになっている。

 児童の感染の場合には、軽傷や無症状が多く、オンラインの授業には、出席することが多い。

 また、領事館には学校からの第一報後は、感染者が自分から連絡して情報提供するよう に促すことのみを行った。

5.コロナが学校に残してくれたこと

 1 学期のオンライン授業が終了し、夏休み期間を経て 2 学期の始業式に、職員に語ったことは、「オンライン授業を思い出だけに終わらせてはいけない」ということである。

 オンライン授業には様々な遺産があったはずである。それを開校後の対面授業をしなが ら更に高めていくことが必要である。また、コロナは解決したわけでも治療方法が分ったわけでもない上での開校である。更に保健衛生に留意する仕組みを具体的に取っていくことが必要である。また、ひょっとすると次のオンライン授業が開始されるかもしれない。 その時は今までよりももっと良いオンライン授業をしたいと思った。

 

① IT を学校教育に取り入れる技術の革命的な進歩

 オンライン授業が始まったときには、様々な議論があった。「同期か非同期か」、「時間 はどうするのか」「プラットホームは」「教材の提示方法」「宿題家庭学習のやりとり」などなどは、4 月からのオンライン授業を続けながら言わば「走りながら考えてきた」ものである。どれもこれも、難問ばかりである。

 ただし、やっていく中で次第に分ってきたことがある。それは「同期授業が望ましい」 こと「長時間の連続するオンライン授業は難しい」「各家庭の協力なしには成立しない」 などなどである。この中心になったのは、本校の研修部「検討チーム」である。また、それを外部から支えてくださったのは運営委員会の IT サポートスタッフの木下氏である。

 

ア:同期授業が行えないのであるならば、オンライン授業は継続しない

 非同期の授業(つまり一方的に流しっぱなしの授業)も 1 学期当初は検討した。それは、 非同期の授業を録画に取っておいて流す方法だと、以下のメリットがあった。

・児童生徒がいつも都合の良い時間帯に授業を受けられる。

・繰り返し視聴することができる。

・対象の児童生徒が何人でも対応できる。

・同一学年の複数教師が分担して録画することができる。

・教師も授業時間に拘束されない。

ただし、いわゆる NHK の教育放送のような番組は、教師の誘導による無駄のない授業は展開できるが、子供達のつまずきに対応したり、個別の対応ができなかったりする。また 何よりも子供同士の学び合いの機会が作れない。各種の研修会でも同様の指摘がされてい た。そこで、教室での授業の形態に少しでも近い同期型の授業を行うことを本校は当初から考えたのである。

 

イ:子供の緊張感の持続に対応した時間を考える

 一般的に子供の緊張感の持続は 15 分間だといわれている。小学校の 45 分の授業時間には、 少なくても 3 つのパートは必要になってくるといういわれである。1学期には本校のオン ライン授業は45分間を1単位として行った。しかし、子供達や保護者また教師からも 45分間の継続は難しいとの指摘があった。そこで、2学期のオンライン授業は、20分 間のショートの学習時間を積み重ねる方式にして、その間の適宜、教師裁量でインターバ ルを取ることにした。このことによって、子供にとっても教師にとっても集中が持続しやすくなり、大きな成果が上がった。

 

ウ:教育機器の使用

 2学期のオンライン授業で、大きく変わったのは、教師の授業の質の向上であった。半年の間に、ネットにはオンライン授業のノウハウがかなり掲載されるようになった。また各種の工夫が紹介されるようになった。それらを参考に自分の授業に取り入れて、実物投影機を自作したりする者もあった。

 

エ:宿題のやりとりを teams で

 子供達と学級担任とが直接宿題のやりとりをすることができるように、MS.Teams を積極的に使用することにした。これによって、今まで校舎内の宿題棚に取りに来てもらっ たり、郵送したり、また、事務さんを通しての個別メールでのデータでの送信を行っていたことが、一気に解決した。

 

オ:デバイスの準備が進んだ

 各家庭ではパソコンは個人の人数分はないことが多く、父母がテレワークで使っている場合もあった。これも正確な統計はないが、1学期はスマホで授業に参加する子もいたが、 オンラインが継続するようになって徐々にデバイスの整備が進んでいったように感じられる。また、冬休み前には、次のオンラインの準備のためにパソコンやプリンターの整備を学校便りで依頼した。

 

②保健委員会の位置づけの強化

 コロナ下での学校の運営を危機管理の面から考えるときに、保健衛生の面での方針の決定の手順を明確にすることは不可欠である。そこで、かねてから医師を含めた学校の保健 委員会をまず、学校の方針の提案者として位置づけた。その決定を運営委員会に提案し、 医学・保健衛生的な立場に力点を置く保健委員会に、社会的・教育的な視点を加えて判断をするのである。

 ただし、2学期の後半には、保健委員会の決定を受け手運営委員会を開催するのは時間的にロスが大きいため、保健委員会の決定を校長が運営委員長に相談し、裁可をもらうという形を取るようになった。その結果、それまで保護者通知までに数日の日数がかかっていたことが、数時間に短縮された。また、保護者通知の方法も、当初は運営委員会のお便りと学校便りとの2本立てであったが、簡素化迅速化を図り、teams への投稿を1~2行 で結論だけ「○日から○日までオンラインにします。」と報告する形に簡素化した。これによって業務はかなり減った。

  
  

   保健委員会の話し合い

 ① 日時・時間帯

  毎週木曜日 午前9時~9時30分

 ② 話し合いの柱

  ア:校長から学校報告(今週の感染者・子供達・職員の健康状態・その他)

  イ:保健アドバイザー(ジュネーブやスイス・フランスなどの情報・その他

    のコロナの情報)

  ウ:今後の学校の運営方針について

  エ:その他

 ③議事録を作成し、すぐに確認。

<委員会終了後>

 ④校長から運営委員長に報告すべきことを細大漏らさず報告する。

 ⑤職員に決定事項や検討事項を報告する。

 ⑥保護者に伝達する。

 ⑦次週までの間に次の会議の議題を考え提案する。

  
 

③カリキュラムマネジメントの考えの浸透

 コロナで話題性は少なくなったことが残念であるが、今年度は学習指導要領の全面実施の初年度である。学校改革を新指導要領の理想に沿って推進する年である。

新指導要領の改訂の主旨は「予測できない変化に主体的に関わり合い、自らの可能性を発揮し、よりよい社会と幸福な人生の創り手となる」というものである。今のコロナ下こそが「予測不可能な世界」なのではなかろうか。学校教員の多くが直面しているのは、正に 「今までと同じやり方はできない」という思いではなかろうか。こうして、今年度はコロナに襲われたことで、いやが応にも自校を見直すきかっけとなった。

 見直す視点は「保健衛生の観点」「新指導要領の視点」があげられるが、その他に海外では「その国の特質を生かす視点」が加わる。また、広範な新指導要領のどこに力点を置くのかは、経営者の教育観に大きく関わってくる。

 本校は、第一に「保健衛生的な視点」を重視し、「インクルーシブ教育の構築」「学びに向かう力」の育成に力点を置くことにした。

 

④世界を視野に考えるようになった

 コロナが与えてくれたものは多いが、コロナ世界がもたらしたもののひとつが、「世界を考えるようになった」ことではないだろうか。私達は毎日、世界中のニュースに注目するようになった。アメリカ大統領選挙では人種差別が話題になっているが、コロナは人種差別をせずに、どの人種でも民族にも襲いかかる。コロナに立ち向かうという意味で国際社会は協調し、お互いの国のニュースに耳を傾ける。

 コロナのおかげで、世界はますます狭くなったのである。

6.終わりに

 補習授業校の運営は難しい。保護者のニーズが多様であることはどこでも同じだが、限られた教員で、限られた予算と勤務時間で、潜在的に相反する要求を持つ保護者に応えていくのは、なかなか舵取りが難しいものである。

 そのための本校の学校経営目標は「聴く学校」「看る学校」「談る学校」の構築である。いずれも情報発信型の積極的な学校経営が目標となっている。

 12月に学校評価アンケートをとった。全項目中最も保護者の指示を得た項目が、「学校のコロナ対策」であった。実に回答者の87%が最も高い評価をしている。それは、本校教育目標のひとつにあるように、コロナや学校のことを「看る(みる)」「談る(かたる)」姿勢である。

 対面授業に比べて、保護者子供達に直接お話しする機会が少なくなるため、お便りを数多く発行するようにした。学校便り「瑞風」13号、校長便り「手をつなごう」26号、保健便り「元気一番」15号、を発行している。

 12月になって、本校から日本に帰国す生徒がいた。転出先の学校には国際電話をかけることにしているので、その学校に電話をして、担当の教頭先生に生徒のすばらしい点をお話をした。その教頭先生がとても日本人学校にお詳しいので伺うと、以前在外勤務がおありになる方だった。さらに話が進むとなんと2021年度シニア派遣の試験を受けたということであった。

 私は感動した。それは私たち2020年度派遣と違って、2021年度派遣の方々はコ ロナを知ってその上で在外勤務を希望していらっしゃるからである。そもそもの志が高いのだと思う。

 そのような先生方に是非お伝えしたいのは、世界がこのような状況になると全く考えもしなかった私たちの代だが、私を含め海外にいる仲間達は誰も派遣されたことを後悔している者はいない、という点である。そして、海外はそんな先生方の力を発揮する場所として相応しいこと、そして在外には皆さんの赴任を本当に本当に待っている子供達がいるということである。

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